第五福竜丸~戦後日本が初めて遭遇した全身被爆事故

日本人が遭遇した、全身被ばく事故

「第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)」という単語を、聞いたこ
とがありますか?

学校の教科書で、な~んとなく耳にした事がある程度ですよね。
今回は、その「第五福竜丸」が遭遇(そうぐう)した事件を紹介しながら、全身被ばくの症状について説明していきます。

時は、戦後まもない1954年3月1日。
2年後には、「もはや戦後ではない」と言われ始めるように、日本が復興に燃えていた時代。

ビキニ環礁(かんしょう)と言われる、アメリカ大陸とオーストリア大陸の中間地点にある場所で、アメリカが水爆(すいばく)実験をおこなっていました。

水爆というのは、水素爆弾(すいそばくだん)の略語。
原子力爆弾よりも、威力の高い爆弾のことです。

その水素爆弾の実験に、日本のマグロ漁船である、「第五福竜丸」
が巻き込まれました。
結果、乗組員が全身被ばくし、半年後に死亡しました。
後に、「第五福竜丸事件」とよばれるものです。

「第五福竜丸は、どうして巻き込まれたんだ?」

この事件を聞くと、そんな疑問が浮かびますね。

第五福竜丸は、そこで水爆実験が行われることを、知っていなかっ
た訳ではありません。
きちんと知っていた上で、危険区域とれていた場所の外にいました

原因は、水素爆弾の威力を見誤ったことにあります。
そのため、実験をする前までは大丈夫だと思っていた区域が、危険区域となりました。

「このお茶目さん♪」では、とてもすませられない話ですね。

そのために、「第五福竜丸」以外にも、漁船に乗っていた多くの人が被ばくすることになりました。その数は、2万人を超えるといわれています。

2万人です。
被害者が集まったら、東京ドームの座席が半分埋まります。
被害者全員を東京ドームに集めて、関係者全員に公開土下座しても
らいたいものです。
(注意 当時、東京ドームはありません。)

その2万人が、「死の灰(しのはい)」と呼ばれる、水素爆弾の実験で発生した灰をかぶりました。空からはらはらと、放射能を含んだ灰が、舞い落ちてくるのです。

いわゆる、地獄絵図です。
しかし当初は、それが死をもたらすもの、危険なものであると分か
りませんでした。
そのため、約4~5時間もの間、灰をかぶり続けながら船員は作業していました。

やがてその異常な灰に船員が気づき、日本へと返る事を決めます。
絵本や少年冒険ものなら、「船長のとっさの転機により、みんなは命をとりとめました」ですみますが、現実はそうはいきませんでした。

日本に帰るまでの、約二週間。
船員は、外部被ばくと内部被ばく、その両方に苦しめられることとなります。

火傷、頭痛、吐きけ、眼の痛み、歯茎からの出血、脱毛など急性放射性線症(きゅうせいほうしゃせんしょう)が、発生してしまいました。

日本に自力でたどり着き、治療を受けるものの、
船の中で無線を担当していた方、半年後に急性肝機能障害(きゅうせいかんきのうしょうがい)で命を落としました。

ここで問題となったのが、放射線が人に与える影響です。
当時はまだ、チェルノブイリ等といった大きな原子力発電所の事故がおこっていないために、放射線が人体に与える影響が、詳しくわかっていませんでした。

そのために、日本人の研究者と、アメリカの研究者の間で、意見が
分かれます。
結果、アメリカの意見が通る事となり、日本には賠償金(ばいしょうきん)ではなく、見舞金(みまいきん)が、払われることになりました。

過去の歴史を眺めて思うこと。
それは、放射線の歴史は、非常に浅いものであるという事です。

人類は、まだよく放射線の事がわかっていません。
それというのも、放射線が人に与える影響は、何らかの事故が起こった後にしか、研究することが出来ないからです。それというのも人体実験を行う事が出来ないために。

広島・長崎への原爆。
第五福竜丸事件。
東海村JOC臨界事故。
チェルノブイリ原子力発電所事故。
そして、福島第一原子力発電所事故。

人は失敗を反省し、次へと活かす力があります。
現在得られている放射線のデータは、過去の先人が私たちに残してくれた財産です。

過去の悲しい事故から得られたデータをもとにして、危険を予測し
ていくこと。
今の日本には、そんな姿勢が求められていると思っています。

「放射線が人体に与える影響 from Fukushima」
そんなデータが今後、日本から大量に出てしまう前に。

wiki-第五福竜丸

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